鹿教組委員長より

「第57回鹿児島県母と女性教職員の会 あいさつ」

鹿教組執行委員長 今村 悟

おはようございます。4月から鹿児島県教職員組合の委員長をしております今村です。
まずは、県下各地からご参加いただきましたみなさんに感謝申し上げます。また実行委員会のみなさんにおかれましては、永年に渡り、この会を開催されていること、また各地区でもこの会を開催されていることに敬意を表します。
さて、本日は、今年数えの88歳を迎えた、姶良市に住む叔母から聞いた話をさせてください。9月にその叔母が、喜入の私の家に初めて泊まりに来て、その送り迎えの間を含めて、いろいろな話を聞きました。叔母は、国民学校の初等科6年、高等科2年を修了して、1944年から46年までの2年間、今でいうと、中3~高1の2年間を蒲生高校の前身である蒲生農林学校で学んだそうです。
特には、その農林学校の2年間を思い出しながら、叔母が発した3つの言葉が、わたしにはとても印象に残りました。
1つは、「残念でならない。」という言葉です。何キロもの道を毎日歩いて学校へ通ったのに、毎日農作業や山への柴刈りばかりさせられ、ろくに勉強もさせてもらえず、横文字なんか1文字も習ってない。それが、残念でならないという言葉です。
2つめは、「恐ろしかったどお。」という言葉です。農作業の田畑や柴刈りの山への行き帰りに、何度か米軍機の機銃掃射に遭い、道路わきの藪や溝に身を伏せて、行き去るのをじっと待った、あんときは恐ろしかったどお、という言葉です。
最後に言ったのが、「地獄やった」という言葉です。とにかく、物がなくて困った、生理用品なども自分で縫って作ろうにもその材料がなかったと言いかけて、「地獄やった」とぽつんともらしました。それ以上は語りませんでしたが、「地獄」と形容するほど惨めな、つらい思いを叔母はしたんだろうと、想像することでした。
憲法、そして9条を変える法案が、来年の通常国会に上程されることが予想される中、私はこの叔母の言葉も思い出しながら、憲法、そして平和を守るとりくみをしっかりとやっていかなければならないと改めて思った次第です。
本日は、そういう思いも持ちながら、みなさんと一緒に講演を聞きたいと思いますし、ぜひ午後の分科会では、みなさんも日頃思っていらっしゃる学校や社会の有り様などもいっぱい語っていただければありがたいです。
よろしくお願いします。

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2017年11月19日